新音響システムの導入の際に、門下生間で、深刻な対立
があったようで、あちこちに遺恨が残ったようだ。
だがもう終わった。
明日は成功する。プロ中のプロまで来てくれる。
終わったらもう遺恨は忘れるしかない。
各人、アクの強い個性がいっぱいいるのかもしれんが、
とにかく「ゴー宣道場」のためにという志(こころざし)
は一緒だと、「信じる」しかない。
志のためのアプローチが違うし、そこで「私」や「自我」
が出てしまうのも個性ある人間が一緒にやっている限り、
避けられないのだろう。
強者が許すしかない。
「ゴー宣道場」には強者が必要で、強者は許すしかない。
「ゴー宣道場」はもっと壮大な野望に向かっていかねば
ならない。
現代の日本にはないムーブメントを起こさねばならない。
執着を捨てて、ニヒリズムを超えよう!